隠れオタク

久しぶりの概論更新です。
更新しないといけないと思いつつだらだらしていたら、
年が明けてしまいました。
ということで新年一発目は隠れオタクについてです。


まずはじめに、ここでは


1.自らをオタクだと包み隠さず生きる、というか
見た目や普段の会話から典型的なオタクであると丸わかりのオタクを
普通のオタクとします。


2.それに対して、見た目や普段の言動などでは
オタクっぽいところを見せずに、
限られた集団にのみオタクであることを見せる
もしくは誰にも見せないオタクを隠れオタクとします。


ちなみに1には本人はオタクと思っていなくても、
一般人が見たらこれはオタクだろうという人も含みます。


僕には自称隠れオタクの友人がいますが、
彼はなんだか僕のイメージするところ隠れオタクではないので*1
あまり参考になりません。
ということで、今回は僕の想像だけで書いていきます。
一人の一般人の想像・意見として読んでください。


普通のオタクと隠れオタクは根っこの部分では同じと僕は考えます。
要するに違いは外に出すか出さないかだけで
基本的にアニメや声優、漫画やゲームが好きである*2
なのでその点のことには特に触れません。
今回僕が考えていく点は、隠れオタクは何故隠れるか。
この点について考えていきたいと思います。


世渡り上手型隠れオタク
回りにオタクの友達がいない。
このタイプの隠れオタクは周囲に自分がオタクであると、
そのことがばれるのを酷く恐れるために、上手く立ち回ろうとします。
この手のタイプのオタクは自分の仲間を欲していることだと思います。
おそらくネット上にはオタク仲間がたくさんいることでしょう。
普段は一般人の友達に囲まれているためにそれなりの
コミニュケーション能力も備えているでしょうから。
その代わり、ネットだけでなく、リアルでオタク友達ができると
普通のオタクになっていく可能性もあります。
その場合でも節度さえ守っていれば、
オタクだからといって一般人の友人から嫌われることはないとは思います。


後天的孤独型隠れオタク
現在回りに一般人の友達すらいません。
新生活が始まることを意識して、一般人を装ってみた結果、
積極性がなく、上手く人付き合いが出来ないために、
結局友人ができないまま孤独なオタクと化していったのが
このタイプの隠れオタクだと思います。
一歩間違えば完全な引き篭もりになるかもしれませんね。
でも、積極性さえ持てば友達もちゃんとできるのではないでしょうか。
オタクというのは大概群れようとしますが、
このタイプは一般人を装った結果、オタクが寄って来なかった。
ということは上手く立ち回ることさえ覚えれば
上の世渡り上手型になることも可能でしょうし、
オタク仲間を得ることも容易でしょう。


先天的孤独型隠れオタク
後天的孤独型と違い、元から友達がいません。
そのために一般人の友達もオタクの友達も作ることは難しいでしょう。
引き篭もり型オタク一歩手前というところでしょうか。


引き篭もり型隠れオタク
引き篭もっていればどんなオタクもある意味隠れオタクです。
まあ、他人に干渉しない時点でそれすらどうでもいいことですが。

今日のまとめ

なんだか隠れオタク相談所みたいな文章になってしまいました。
隠れオタクというのは普通のオタクと違って場をわきまえて行動します。
そのために他人に迷惑をかけるような行動も特にないと思います。
まあ、オタク、隠れオタク、一般人に限らず、
マナーはきちんとまもりましょう。
常に回りを見渡すくらい、心に余裕を。

オマケ
隠れオタクについてのメッセでの迷言
見れば大体オタクかぞうじゃないかわかる
誰がオタクとぞうを間違えるんだ!

*1:ようするに一般人の想像する隠れオタクではない

*2:もちろん例外もあると思いますが

コメントに返信


突然すみません
僕には小説からアニメ、ゲーム、
声優についての知識というものが結構あります。
理由は単に好きだからです。
しかし、僕は自分がオタクだとは思っていません。
そういった知識について熱く語ったり群れたりしませんし、
そういう行為にたいして嫌悪します。
だけど、ある時友人が
「この○○ってゲーム知ってる?」と聞いてきたので
「知ってるよ」と答えました。
その友人はそのゲーム(18禁)について知っているのは
タイトルだけだったようでその内容について詳しく尋ねられました。
簡潔に内容を説明し、
知らなかったようなので「18禁だよ」と答えました。
するとその友人から「お前ってオタクだな」と言われました。
正直かなりショックでした。
つまり僕が言いたいのは、
『好きで識っている』=『オタク』
これはどうなのか?ということです。
僕の中のオタクの定義では、
『オタクとはオタク特有の行動等をする者を指す』
という感じなのです。
その辺りの境界はどうなんだろう?と思います。


というコメントがありました。
そこで、今回はこのコメントについて返信。
次回、オタクガイドラインとでも称して
オタクの境界的なものをやってみたいと思います。
一応オタクの境界線として書いたことがあるのですが*1
そこでは具体的な境界線という物は書いておらず
僕の周りのこととかが主なので
次回はきちんとした境界線について考えてみます。


さて、今回の本題のこの方、
名前がなかったので便宜上名無しさんとしておきますが
名無しさんがなぜ友人からオタク扱いされたのか、と
このことについて考えてみたいと思います。


一般的に、一部のアニメや声優、18禁ゲームというものに
よいイメージはなく、その言葉には
オタク的なものというものが付きまといます。
そのために自分ではただ単に好きで知っていることでも、
その知識を披露した途端に、オタク的なものを知っている
ということはオタクであるという扱いを受けます。
そのために名無しさんの友人は
とあるゲームの詳細をしらずに何気なく聞いたところ、
そのゲームが実は18禁だったので
「お前ってオタクだな」といったのでしょう。


逆にオタク側から見れば名無しさんは
オタクらしい行動というものをとっていないようなので
ただの色々知っている人くらいのものでしょう。


言い方が悪くなりますが、中途半端なポジションだといえます。
見る人からはオタクであるし、オタクでない。
個人的な感想としては声優や18禁ゲームなどのジャンルに手を出して
色々な知識をもっている時点で
オタク文化に染まっており、オタクといえなくもない気がします。
その辺の判断は人それぞれだとは思いますが。

*1:id:nagoya758:20041025

第06回

前書き

ここでは、ただ単に可愛かったりして連呼される「萌え」
つまり、僕の定義するところの広義の「モエ」ではなく
狭義的な「萌え」ということについて考察します。
詳しいことは後述するので
ここでは「モエ」と「萌え」は違う
そのことが分かってもらえればよいです。

萌えとは何か

萌えというのは愛情表現の一種だと思います。
それはただ単に可愛いと思うだけであったり、
好きだという、愛情を覚えたりする、
ちょっとした擬似恋愛とでもいうのでしょうか。
そしてそれらは決して性的興奮ではなく、
「燃え」とは全く違うものであると思います。
「燃え」というのは興奮する時に主に用いられます。
なので性的興奮を指す時には「燃える」で、
性的に興奮を覚えないときに「萌える」を指すのだと思います。
AV等では「萌える」より「燃える」方がしっくりくる気がするのは
このためかと思います。
ただ、AVの場合はコスプレなどもあり
ライン引きは非常に難しく、僕の考えがまとまっていません。
その点に関しては矛盾等あるかもしれませんが、
ご了承ください。

何に萌えているのか

萌えるという行為は主に、アニメや漫画、
その他にはゲームのキャラ等に使われます。
これらは全て二次元的なものです。
そしてアイドル等の、
極一部の三次元的なものにも萌えられます。
これらにいえる共通点というのは、
作られたキャラ性であるということです。
アニメキャラに関して言えば、それらは全てフィクションであり
すべて製作者の手によって作られたものです。
それらは外見、性格などの設定が全て作り物であり、
本来ならば内面を表すキャラ性というのは、
アニメなどに関して言えば、全てがキャラ性といえます。

アイドルですが、アイドルというのは全て人間です。
しかし、それらは全てが本当に当人のキャラといえるでしょうか。
アイドルに関わらず芸能人というのは全てが人間というより、
キャラクタであるといえます。
ありがちなのがコメディアンの性格です。
テレビ上ではとても面白い彼らですが、
テレビの裏に回ればその性格はとても違う人が多いそうです。
(99の岡村が有名でしょうか)
同じようにアイドル達も、あの性格通りとは思えません。
彼女達は大概が、どこかボケており、料理もあまりできず、
彼氏などは絶対にいないという共通点があります。
もちろん全部のアイドルが、とはいいませんが。
これらのことを考えると、アイドルのキャラクタというのも
作り物であり、二次元的なものと同じキャラ性だと思います。

これらを裏付けることとして「擬人化」というものがいえると思います。
掲示板群で有名な「ふたば☆ちゃんねる *1
ここではアニメや漫画のキャラではないただのものが
多数の人たちにより、性格を与えられ萌えられています。
ハバネロたん*2
http://barrageshot.hp.infoseek.co.jp/habaTOP.htm
OSたん*3
http://nijiura-os.hp.infoseek.co.jp/
煙草*4
http://www.ctb.ne.jp/~silver-s/
などなど、一見萌えとは関係なさそうなものが
キャラ性(外見的なもの含む)を与えられ、
様々な人たちに萌えられているのです。

このためにAVなどに対して燃えるというのは適切ではないと思うのです。
もちろん、AVでもセーラー服やナースなどコスプレが存在しますが、
そこには教師と生徒や看護士と患者という
シチュエーションが存在します。
しかし、これらは全て性的対象であり、
キャラ性としてはみなすことはできません。
そもそもAVのキャラ作りというのは
棒読みだらけでキャラと呼べるかすら怪しいですし。
このため、AVにおいては外面的には広義的な「モエ」でありますが、
本質においては性的興奮の「燃え」だと思います。*5
18禁ゲームに関して言えば
キャラ性が高いので「萌え」でしょう。

このように様々な「萌え」というものが存在しますが、
お菓子のハバネロを一袋買ってきて、
ハバネロたん萌え」などという人はいないでしょう。
萌えるという行為に対してキャラ性というのはとても重要なのです。
むしろ、人というのはキャラ性に対して萌えるといえるでしょう。


補足
全てが「作られたキャラ性」に萌えるとは限りません。
ちょっとした仕草に萌える場合もあるでしょう。
それらは「作られたキャラ性」ではなく、
「キャラ性」に萌えているのです。
アイドル達の全部が全部作られたキャラ性ではないでしょうし、
時のは素の自分を出してしまう時もあるでしょう。
そして時にはちょっとした仕草に萌えたりもするでしょう。
これらは全て、「キャラ性」に対してであるといえます。

萌えの距離

萌えるものに対しての共通点というのは、
自分との距離だと思います。
アニメや漫画のキャラというのは
決して触れることは敵いません。
自分との距離はとても遠いものであるといえます。
萌えキャラ化されたモノたち(OSたん等)も同様です。
アイドルに関しても、自分との距離とは遠く、
ブラウン管の向こう側であったりすることが殆どです。
身近な人に面と向かって「萌え」とか言う人などいないでしょう。
自分の手の届かないものだからこそ萌えるのです。
そのために擬人化やアニメ、漫画などの
フィクション性の高いものの割合が多いといえます。

なぜ萌えるのか

フィクション性の高いことと距離感というものを考えると
一種の逃避行動ととることが出来ると思います。
一般的な人は殆ど「萌える」ことはなく、
オタクっぽい友達等に冗談で使う程度であり、
そういった人は「モエ」であり、「萌え」ではありません。
萌えるという行為をするのは大概が、
アニメや漫画、アイドルなどのオタクです。
とりあえず「モエ」と言っていればいいような
消費的なものではなく、
そのキャラ性を愛した「萌える」
という行為をするのはオタクなのです。

オタクというのは大概がコミュニケーションが得意でなく、
自分という殻に篭もりがちであるといえます。
そのためのはけ口として、
フィクション性の高いものを求めるのではないでしょうか。
ときメモ」などに代表される恋愛ゲームが人気なのは、
フィクション性に学校などの日常生活内で擬似恋愛をするという
ノンフィクション性を取り入れたからでしょう。
その中では自分はとても理想的な人間であり、
(萌える)対象も理想的で、更にはシチュエーションも理想的です。
これらはゲーム内のことですから。
だからすんなりと萌えることができるのです。

萌える対象というものは距離が遠いものです。
そのために、萌える行為の殆どは自分の想像力に任せられます。
対象は(その想像内で)
自分の友人であったり、恋人であったり、妻であるかも知れません。
その萌えるという行為において想像内では全てが思うが侭です。
上記したゲームと同じように何から何までもが理想的なのです。

つまり、コミュニケーションが不得意なために
自分である対象を見つけたときに、
理想的な環境を自分で創り上げるのです。
このことから萌えるという行為は
ある種の逃避行動と捕らえることが出来ます。

記号化される萌え

萌えというのはだんだん記号化されていく傾向にあります。
妹萌えであったり、メイド萌えやメガネ萌えであったりします。
それらは一種のフェティシズムであり、
一般的なキャラ性に萌えるのではなく、、
さらに狭い、キャラ性に萌えているのです。
これらは「属性」と呼ばれ、萌えは記号化されていくのです。
そしてこれらの「属性」は時には複合し、
メガネをしたメイドというものも生まれます。
こうして萌えは更なる記号化をなされているのです。

萌えの共有

こうして記号化されていった「萌え」も、
同じ「属性」を持つ人がいることでしょう。
そうしてオタク達は同じ「属性」を共有することにより、
さらなる「萌え」へと発展していくのです。

これは「ふたば」がいい例ではないでしょうか。
ここでは不特定多数のオタクの手によって、
キャラ性を持たされたキャラが同じ属性を持った者たちによって
育てられてゆき、新たなキャラが生まれていったり、
新しいキャラ性を与えられたりします。

「萌え」というのはオタク達と密接に関係しているために
このようなことになるのだと思います。
「萌え」というのは現代のオタク文化の根底に位置し、
その「萌え」を共有するのが最近のオタク文化の風潮だといえます。

消費される萌え

しかしながら、「萌え」というのは新しい言葉です。
「萌え」という言葉自体の誕生は古くとも、(恐らく10年ほど前でしょう)
認識され始めたのは数年ほど前からです。
そのために今だ「萌え」は定義されておらず、
単純に「萌え」を連呼し、
消費される「モエ」というものが多いのです。
これらの「モエ」は、にただ単に可愛いだとか
ちょっと気に入った程度のものであり、
「萌え」ほど心に響かないものであると思います。
これらの「モエ」は「可愛い」など意味の広義の萌えで、
多用されすぎたために定着してしまった意味です。
「萌え」の本質は
キャラ性を愛するという行為であると言えるでしょう。
AV等、性的欲求を覚えるものに対しても「モエ」で、
本質とはかけ離れていると思います。

萌えを定義する

以上のことを踏まえた上で、
僕は萌えというものを定義したいと思います。

もえ 【萌え】

(1)見た目を可愛いと思うこと。
	「このキャラの外見は―・る」
(2)キャラ性に擬似的恋愛感情を覚えること。一種の愛情表現。
	「このキャラに―・る」

本来なら(1)は「モエ」と書きたいところですが
既に認識されすぎているので新しく提唱しても無理でしょう。
しかし、「萌え」の本質は(2)なのです。

*1:http://www.2chan.net/

*2:スナック菓子、暴君ハバネロを擬人化

*3:OSのWindowsを擬人化

*4:タバコの銘柄を擬人化

*5:「モエ」と「燃え」が同時に存在するためにライン引きが若干難しいものになっています。

第10回


今回の内容

前回は萌えとロリコンについて考えてみました。
ある種の萌えというのは支配することにより
生じることがあることが分かりました。
自分のコミニュケーション能力不足から
そういったものが生まれてくるようです。
今回はアイドルと人間性について考えてみました。


砂時計の発言 :
僕はどうしても「萌えにはキャラ性が必要」よりも
萌えには「擬人化が必要」のほうがいいんだよなぁ
砂時計の発言 :だからアイドルに萌えは誤用と言いたいんだけどね
758の発言 :なるほど
758の発言 :狭義的な萌えと広義的な萌え
砂時計の発言 :アイドルには可愛いだろ、と
758の発言 :
狭義では二次元的なもの
広義だとアイドルも含む、と
砂時計の発言 :
なんか感化されて使ってる気がするんだよなぁ>アイドルオタの萌え
758の発言 :たしかに
758の発言 :根底は二次元的なものから派生してるからね
砂時計の発言 :そうそう
758の発言 :アイドルというのは三次元だから
砂時計の発言 :ただ、アイドルに人間性はあるのか、という問題はある
砂時計の発言 :そこをつけばなんとかなるかもと思ってる>自論
758の発言 :アイドルは所詮アイドルであり
758の発言 :人間性を持っていないと僕は思う
砂時計の発言 :だよね
758の発言 :タレントとか芸能人全般かな
758の発言 :だからこそゴシップ記事とかでで
758の発言 :こき下ろすことにより
758の発言 :人間性を持たせて、優越感とか、そういった感情を満たす
砂時計の発言 :あーやべー、まだまだ語り足りなくなってきた(笑
758の発言 :全然足りないね
砂時計の発言 :そうか、ゴシップは人間性の回復なのか
砂時計の発言 :あー、すげーいいわ まじて
758の発言 :えーと代償とか葛藤とか高校の時にやらなかったかな
758の発言 :それの一種だよ
758の発言 :ユーザーはそれにより感情の回復を図り
砂時計の発言 :倫理は先生が嫌いでした
758の発言 :アイドルはそれにより人間性を回復すると
砂時計の発言 :うん
砂時計の発言 :
しかし、僕が広げたんだけど、
アイドル論まで入ってくると大変ですね
758の発言 :大変だなあ
砂時計の発言 :
でも二次元と三次元との対比のためには
仕方がないと思うんだけど
758の発言 :ああ、なるほどね
758の発言 :
まあ、広い意味で言えば
なんでも萌えてくれていいんだけどさ
758の発言 :僕が大変だからやめて欲しい
砂時計の発言 :そうそう
758の発言 :サブカルチャーっていうのは難しいなあ
砂時計の発言 :まったくだ

第09回


今回の内容

前回は萌えと人間性について考えてみました。
萌えるときには人間性を排除してある方が
萌えやすい傾向があるようです。
そのため、相手を支配したいという欲求が見えたために
砂時計は萌え=支配ということから、
「萌える人間はロリコン」であるという考えに至ったために
今回は萌えとロリコンの関係について考えてみました。


758の発言 :えーと、最近ってさ
758の発言 :萌えの記号化が最近すすんでるじゃない
758の発言 :僕が概論書くときに引用したときも
758の発言 :メガネ萌えやメイド萌え妹萌えがあったわけだけれども
758の発言 :メイドも妹も弱者的な立場じゃない
砂時計の発言 :そうそう!!!
758の発言 :それでね
砂時計発言 :うん
758の発言 :メガネ萌えっていうのは
758の発言 :相手がメガネをつけていないとだめなんだよね?
758の発言 :ということはこれもある種の支配であると
砂時計の発言 :あーそうか
758の発言 :相手にメガネを強要しているわけで
砂時計の発言 :そうだね
758の発言 :だから記号化された萌えというのは
758の発言 :ロリコンと密接に関係があるかもしれないけれど
758の発言 :基本的に萌えというのはロリコンとは関係しない
758の発言 :これが僕の考え
砂時計の発言 :そうか
砂時計の発言 :僕は、萌える人間はロリコンだ、で行きたいわ
758の発言 :OK
758の発言 :じゃあ僕は逆サイドで
砂時計の発言 :
オタクもロリコンも対象の人間性の排除を望んでいるところで一緒。
ということなんですけどね
758の発言 :なるほど
758の発言 :
他者とのコミュニケーションが下手だから
そっちの方が楽なのかな?
砂時計の発言 :
「楽」っていうのはあるかも。
簡単。気軽とかね
758の発言 :ふむ
砂時計の発言 :
ただ、オタクはコミュが下手かも知んないけど、
ロリコンはどうなんだべ?
758の発言 :うーん
砂時計の発言 :僕は下手だが(笑
758の発言 :
コミュニケーションがへただから
ロリコンに走る可能性も否めないと思う
砂時計の発言 :あー、なるほどね
758の発言 :相手は弱者、だからね
砂時計の発言 :
うん。関係ないけど幼女とコミュとるのって実際大変そう。
保育士とか無理だもん僕。
758の発言 :ふむふむ
砂時計の発言 :
あとは、ロリコンが幼女萌えって言うときには、
幼女を人間としては見ていない、かな。
758の発言 :単なる対象ということかね
砂時計の発言 :そうだと思う

第08回


今回の内容

前回は萌えとキャラ性について考えてみました。
萌えというものにはキャラ性が重要なために
アイドルも萌えられるようです。
今回は萌えと人間性の関係について考えてみました。


砂時計の発言 :人間性を排除するととと萌えとは繋がる!
砂時計の発言 :どうすか?
758の発言 :いい線いってるかもしれない
758の発言 :ロボットに萌えるのとかってたまにあるよね
758の発言 :そこも関係してくるのかもしれない
758の発言 :
人間性というか、
日常的な人間性を排除が近いのかも知れないけれど
758の発言 :
アイドルにおける性格も、
二次元的なものにおける性格も
758の発言 :どちらも非日常的な性格なわけで
758の発言 :だからこその憧れというものや
萌えという感情を抱くのかもしれないよ
砂時計の発言 :なんで排除せな萌えられんの?
758の発言 :理想的なキャラクタだからじゃないかな
758の発言 :Aというアイドルが、今日彼氏と〜と言う
758の発言 :そうするとリアルすぎるわけでしょ
758の発言 :でもアイドルにそういうものはご法度とされるわけで
砂時計の発言 :うん
758の発言 :アイドルは常に彼氏がいないといわなければならない
758の発言 :そこが非日常的じゃない
758の発言 :
アイドルって大概かわいくて
彼氏いないんですーとかありえないでしょ
砂時計の発言 :まったくありえないと思う>彼氏
砂時計の発言 :つまり対象を自由にコントロールしたいということ?
758の発言 :だから、萌えるオタク達というのは
758の発言 :そこの彼氏に自分をはめ込むことが出来るし
758の発言 :二次元的なものであっても
758 の発言 :妄想ということがしやすいわけで
758の発言 :
萌えっていうのも
最終的にその人の想像力に任されるところがあるかな、って
砂時計の発言 :
対象を自由にコントロールしたいという欲求が萌えにつながるのなら、
萌えはロリコンから発生したということを説明できそう
758の発言 :たしかに
758の発言 :そうかもしれない
砂時計の発言 :
コントロール、つまり支配したいわけでしょ。
ロリコンというのは思考未発達な相手を自分のものにしたいわけで、
つまりは萌え=支配と
砂時計の発言 :
萌える人間はロリコンだ。
どうすか
758の発言 :そこまで短絡的につなげるものでもないとは思うけど
758の発言 :支配的なものを感じる点では否定しないね

第07回


今回の内容

前回はアイドルについて考えてみました。
萌えというのはアニメや漫画だけではなく
アイドルに対しても萌えるということが分かりました。
今回は萌えとキャラ性の関係について考えてみました。


758の発言 :1993(H5)年:放映開始作品>恐竜惑星
758の発言 :そこから転じた説があるということは
758の発言 :約10年前から使われている可能性が或る
砂時計の発言 :ほう
758の発言 :多分この時点ではサブカルチャー以前のものだろうね
758の発言 :サブカルとして認定されないくらいのサブ
758の発言 :マイブーム程度のもの
砂時計の発言 :だな。恐竜なんとかなんて知らんし
758の発言 :僕もしらないよ
758の発言 :さっきの幕張は僕らが中学生くらいだろう
砂時計の発言 :そうそう
砂時計の発言 :たしか使ってなかったはずなんだよね
758の発言 :ということは幕張のときには
758の発言 :存在していたが、まだ今ほどメジャーではない
砂時計の発言 :うん
758の発言 :モー娘板に萌えがいるわけで
758の発言 :人間にもアイドル的扱いをされるものは萌えられるのかな
砂時計の発言 :困るんだよね、人間に萌えって使われると。持論が崩れる
758の発言 :そうだな
758の発言 :うーん
758の発言 :人間ていうのはその人が独自のキャラ性を持っているから
758の発言 :すんなり萌えられるのではないか?
砂時計の発言 :なるほど。
758の発言 :さっきもいったけど擬人化というプロセスがあるだろ
758の発言 :萌えるという行為において
キャラというのは重要なのではないか
砂時計の発言 :擬人化が必要なのではなくて、
キャラクタ性がないとダメってことか
758の発言 :そうだね
758の発言 :だからお前も最初キャラクタにもえるって
758の発言 :いってたじゃん
758の発言 :そういうことなんじゃないかなあ
砂時計の発言 :ならロリコンはカンケイないですよね?
758の発言 :関係ないね
758の発言 :確かにロリコンから萌えが派生したのかもしれないけれど
758の発言 :現在の萌えにおいてその根底にロリコンはなく
758の発言 :キャラクタ性がある
758の発言 :そう思うのだが
砂時計の発言 :基本的にアニメキャラは
子供が多いってだけのような気もする
758の発言 :なるほど
758の発言 :確かにそうかもしれない
砂時計の発言 :だったら、アイドルオタクが
「あいつはキャラ作ってる」って言う発言はおかしいわけですね
758の発言 :そのキャラに萌えてるのはお前達だろう
758の発言 :と、いうことだね
砂時計の発言 :そうそう
758の発言 :でも、アイドルってみんなキャラ作ってると思うよ
758の発言 :一番分かりやすいのって小倉優子だろうけど
砂時計の発言 :萌えるためには
誰かがキャラを作らないといけないわけだから
砂時計の発言 :それを提供者が作ってるっていうのは
ユーザーにとっては親切なことなんじゃないのか?
758の発言 :そうだね
砂時計の発言 :小倉優子はユーザーに親切
758の発言 :逆にキャラを作らないで自然体なのに萌えるっていうのも
758の発言 :あるかもしれないね
758の発言 :天然系だとそうなるのかもしれん
758の発言 :
まあ、大概の天然て人工だろうから
何気ない仕草に萌えるとかが自然体かも
砂時計の発言 :うん
758の発言 :
作られたキャラに萌えるというのは
二次元的なものに萌えるのに共通しているのかも
758の発言 :両方とも作られた性格だからね